4月生まれのあなたへ
と、まあ、正確に言うと「あなた"たち"へ」だし、
正確に言うと、本人たちに直接宛てるつもりはないのですが、
自分の気持ちの整理として。言い訳みたいな文章です。
そうならないように気をつけて書いているのですが、過剰に関連づけたり比較するみたいになってしまっていたらすみません。どなたにとっても読んでいて気持ちいい文章ではないと思うので先に断っておきます。
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あなたを失ってから、嘘の世界を生きているみたいだ、生まれ変わるしかない、違う人間になるしかない、とは言っていましたが、その流れの行き着く先の1つ?として、まさか新しく推しと呼べるような人が増えることになるとは、丸1年前の私は全く想像できていなかったと思います。
だって春馬くん以上に好きになれる俳優さんなんてこの先もう現れないと思っていたし、(まあそれは今もそう)
そんな私は、ミュージシャンならまだしも、もうこの先の未来で誰か"俳優"を新しく好きになって推すことなんてないんだろうな、と思っていたんですよ。(壮一くんのことは今までも推してたから別として。)
だから前田さんとの出会いは衝撃だったし戸惑いでした。
(もっと言うとそもそも春馬くんを好きになった始まりのごくせんで、すでに出会ってたはずというのも衝撃でした)
ベンヴォーリオに惹かれて、前田さん自身にもだんだん惹かれている自分がわかっていたので、去年の7月以降の自分はずっと悩んでいました。
そういう状況になっていることを誰よりも自分が1番信じられなかったし許せなかったので、たくさん、いろいろなことを考えました。
そういうつもりは全くないけれど、春馬くんがいなくなった途端乗り換えて、みたいに思われてしまうんじゃないか、
そういうつもりは全くないけれど、自分も無意識で春馬くんの代わりみたいに捉えてしまってるんじゃないか、
そうだったら春馬くんにも前田さんにも申し訳ない。
こんな状態の私が好きになっていいのかわからない。とか。
悩んでたので友人にも多々相談しまして、
「それとこれとは別じゃない?考えすぎだよ」「私は代わりにしてるみたいには思わないけど。2人が似てると思ってるわけじゃないんでしょ?」「なんか妻に先立たれた夫みたいになってるね」
みたいな言葉をたくさんもらったりして、ほんとその節はありがとうと友人たちに感謝しているのですが。
自分の中で納得しないと解決しない問題なんだろうなというのもわかっていました。
その中で大きな転機になったのは、去年の12月。ポルノグラフィティのライブだったと思います。
10月に参戦した同じツアーでは、なんだかどうしても春馬くんのことがまだ頭から離れなくて、「私は1番大好きなポルノのライブでもそうなってしまうんだ…」ととても落ち込んでいたりもしたのですが、
12月の千秋楽公演、終盤、アンコールのいつもの曲で飛んだり跳ねたりしている時、
その時に、ただポルノグラフィティが好き、ライブが楽しい、という感覚だけに包まれている瞬間があって、それは2年前にポルノのライブで感じていたのと同じ感覚で、
ライブが終わってから「あ、私、一瞬春馬くんのことを忘れていた」と気付きました。
申し訳なさと、自分が少し信じられなくて戸惑う気持ちと、まあいろいろ考えたりしたのですが、でも、掴めたかも、とも思いました。
あの日以来私の世界を覆うのは春馬くんが全てになってしまっていた。
何のステージを見ても彼のことが頭から離れなくて常にずっと頭のどこかにはあって、関係ないはずのことも関連付けて苦しくなってしまって。
でも2年前まではそうではなくて、あえて酷い言い方をすると、大好きな春馬くんも私の中の全てというわけではなかったはずで、
私の中で大切な存在の、その中の1つとして、春馬くんも、他の大切な人たちのことも、これからもそれぞれ大好きでいられる方法、感覚、その糸口みたいなものを掴めた気がしました。
その同じ週の週末に、壮一くんがゲスト出演したコンサートがあって、そちらでも春馬くんのことをあまり思い出さずに楽しめて、それも大きかったかなと思います。
そしてその同じ日に前田さんとのオンラインお話し会があって、それをきっかけに決心も固めたわけです。
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やっぱり私はどうしても春馬くんを忘れることはできないし、
というか、前田さんを推したとして、
春馬くんと年齢も誕生日も近すぎるから絶対にその時期は思い出すし、(1歳差で2日違いって!)
ごくせんを見ても思い出すし、
三浦翔平さんや稲垣来泉ちゃんや仲間由紀恵さんを見ても思い出すし、
ハイローで鳳仙の制服を見ても思い出すんです。
そうだろうな、きっと思い出してつらくなるだろうな、と予想ができていたのも、前田さんのファンになることを迷っていた理由の1つではありましたが、
でもだんだん、それでいいのかな、と思えました。
思い出せるってことは、それなら忘れないでいられるかな、それもいいのかも、って。(こう考えるのも申し訳ない気持ちもあります。)
春馬くんを失った世界ならいらない、なくなってしまっていい、いない世界で生きていく意味がわからない、とさえ思っていましたが、
今の私はそうではない世界もあるということを思い出せています。
私は人と出会う運だけには恵まれて今までの人生をやってきたと思っています。
だから、今このタイミングで前田さんと出会うことができたのも、何か意味があるのではないかなと思いました。
意味があるなら、それを取りこぼしたくないなと。
私は推しが簡単に増えるタイプではないし(5、
1つだけ言えるのは、コロナがなければ、春馬くんがいなくなっていなければ、私は前田さんと出会うことは確実になかっただろうという事実です。